2009年5月9日土曜日

選擇本願念佛集

ちょっと、思い出して法然を読んでみた。

選擇本願念佛集  巻本 第三 念仏往生本願篇

法然が山を下りて浄土宗を開いた、その時の宣言論文みたいなものだ。1198年。

第3章はいつも私をなごませる。どうすれば往生できるのかという話。
法然にはいつも弱い者への優しいまなざしがあった。
この章で法然は、往生のためには、仏像造ったり、寺に寄進したりすることじゃない、知恵を積むことでも、多聞多見でも、戒律を守ることでもないと強調している。「諸行等を以て本願としたまわば、往生を得る者は少なく、往生せざる者は多からん。」
として、ただただ、「称名念仏の一行を以て、その本願としたまえる。」
わけだ。
浄土宗の寺はまさかこの、開祖法然の重要な文章を読んでないはずはなかろう。
これに従って生きるなら、坊さん、少なくとも浄土宗の坊さんは、1,500万円の車に乗れないだろう。檀家に布施を強要し総ケヤキ造りの1億円の庫裏に住めないはずだ。
法然だったら、戒名何十万円を払えない、親戚もおらず、近所も、行政も手をさしのべてくれないような孤独と貧困の人達にこそ、大切に大切にお念仏を唱えて仏のもとに送ってくれただろう。

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