2016年2月5日金曜日

信というは アッバ

信といふは、まかすとよむなり
一遍上人語録
仏様を信ずるというのは、仏様に私を任せることだという。
南無とは、帰依するの意。
道を道にまかすとき、得道(とくどう)す。得道のときは、道かならず道にまかせられゆくなり
正法眼蔵 第四十五


道を道に任す時に、仏道を悟る。仏道を悟る時には、道は必ず道に任せられて行く。

私たちキリスト者が「アッバ、父よ」(マルコ14章36節)と呼ぶ時と同じ。
カトリックの神様への帰依と同じじゃないか。

2016年1月31日日曜日

勉強は自分でするものだ


勉強は自分でするものだ
 
復興支援だ、といって大学生が自分の勉強をほっといて被災地で中学生に無料で学習を教えている。2つ間違っている。
1 大学生は自分の勉強をしているか。やった上でボランティアに行く方がよい。
2 勉強は教わるものじゃない。自分の力で苦しみながらやるものだ。
 
ボロディンの弦楽四重奏曲のノクターンを久しぶりに聞いた。
若く、未熟だが理想があって、勉強に追われている頃、夜中にNHKラジオで、この曲を流していた。
あの情景が目に浮かぶ。
寒い部屋で毛布を腰から下にまいて、何で自分はこんなに覚えが悪いんだろう、理解する力がないんだろう、そういらつきながら勉強した。
だから少しは身についた。
今の子はどうだ。授業だけでいいじゃないか。教わるのは。
 
それを塾でも教わりたい。学問に王道はない。アリストテレスがアレキサンダー大王の家庭教師をした時の言葉とか、ユークリッドがプトレマイオスに言ったとか。諸説ありますが、本当の話だと思います。
 
さて、いろいろな才能に恵まれた人はいるもんで、ボロディンは、ロシアの作曲家で牧歌的な感じが好きですが、医師で、化学者というのだから天才ですね。