2009年5月9日土曜日

近所の葬儀で寺とのつなぎをやった。
西暦1300年頃はすでに立っていた寺。
我が家もその寺の檀家。住職は立派な方だ。立派は人ほど偉ぶらないと思った。

友人の外科医が言っていた、「実力のある外科医は決して威張らない」
同じだと感じた。

ここは、布施が他の寺よりはずいぶん安い。それでも仏教寺院は高すぎる。
庫裏が立派すぎる。
寺は世襲になったところで堕落した。
国会議員と同じだ。

仏教僧侶でも、檀家をもたず、弱者につくし、自ら清く貧しく生きる、その道を歩む僧侶もきっと多いだろうとは思う。

日本は、家制度がは崩壊しつつあり、多宗教国家になりつつある。埋葬は多宗教の共同墓地化しないといけない。その点を質問すると、
回答は、
「仏教寺院の墓地は寺が管理しており、檀家個人のものではない。その寺の儀式に乗っ取らないものは寺として埋葬を拒否する。これは昭和33年頃の裁判の判例にある。たとえば、遺族数名だけでも立ち会って、その寺の流儀に則った儀式をして埋葬することは許可する。」

よく分かる回答だ。
知り合いの別の坊さんは、
「戒名を新たに与えないと埋葬させない。だって金が取れないだろう。」
と言った。これもよく分かる回答だった。

何によって成仏するのか、何を本願とするのか。

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