2011年5月15日日曜日

仲知教会の牧者たち 感想5

「神の旅人」

神父様をこう表しているが、よく分かる。


「私に倣う者となりなさい」
パウロの言葉が紹介される。
そう、パウロは自分に倣うように、キリストに倣っている自分に倣うようにといろいろなところで言う。第1コリント、テサロニケ、テモテ・・。
このことが司祭に倣うとして紹介されていた。
カトリックらしい。

仲知教会の牧者たち 感想4

車を司祭が買った。当時は、車は診療所と司祭館にしかなかった。
テレビがある家はなかった。司祭館にはあった。
鯛ノ浦の伝道学校では白米が食べられた。家庭では麦ご飯が中心だった。
神父様は釣り船を持っていた。趣味のために。
仲知教会の司祭館は、30年前に、2,000万円以上の建築費をかけた鉄筋コンクリートの建物である。すべて信者が負担した。
信者からの貢ぎ物で、大量の高級魚があった。


こうしたことを読むと、いかに神父が物質的にも恵まれていたか分かる。
今の私たちの教会はどうか。
神父様は私たちの生活水準さえままならない。
せめて衣食住を満足させたい。
食事を作って差し上げたい。

トラピスト修道院に泊まるとき、ある司祭は肉を焼くブラザーを連れてきていたと、昔聞いた。

2011年5月14日土曜日

仲知教会の牧者たち 感想3

御高齢のA神父様は、司祭になって教会に派遣されたばかりの若いB神父様にこう言った。
A:「ミサ依頼はありますか。」
B:「大丈夫です。巡回教会も3つありますし。」
A:「それはよかった。困ったら教区に頼むんですよ。」

かつて、この会話に偶然接した。その意味を、「仲知教会の牧者たち」で知った。

「・・・司祭を助けるために生活費のほとんどをごミサ料に捧げた方・・・」383p上
とある。
ミサ依頼は、神父の小遣いなのだ。

放射能被曝によるリスクと他のリスク

放射線量には発がんリスクがあるが、他のリスクを考えないで、放射線ばかりがクローズアップされる。
JPHC Studyによると、他の発がん因子も相当なものだ。
今、国民は1μSv/h程度で騒いでいる。
「年間総計1mSv以下にせよ」と。
しかし年間総計1,000mSvであっても、エタノール換算で週当たり450g飲酒の人と同じリスクである。これは毎日日本酒2合から3合を飲む人に値する。発がん相対危険度が1.4倍になる。
受動喫煙や肥満は、発がん率1.2倍(BMI30以上)である。
継続的なタバコ喫煙の発がんリスクは、1,000mSv~2,000mSvに相当する。
肺がんに対しては、タバコは放射線2,000mSvと同じレベルだ。

ダイオキシンやその他薬剤による食物汚染をもっと考えなくてはならない。

東電株主

東電賠償において、大変な資金が要るが、その責任の一つは株主に課すべきが市場経済の論理だ。どこの世界に債務超過を国が負担するところがあるか。100%減資、株価の価値は0となるのが当然だ。東電が将来にわたって返済することになっているが、その原資は電力料金だ。それは国民負担だ。本来はまず、債権者が負担すべきだ。株主や社債権者などは、当然の賠償を負うべきだ。
だから株価が高く安定している。
株価は、2,000円から急落し1,000円で寄り、500円である。戦後最大の危機に際し、500円は高いだろう。会社をつぶすと返済も電力供給もできないから存続させるとしてもつぶす危険のある50円はだめだが、高過ぎ。100円に落ち着くべきだ。

政府が13日発表した福島第1原子力発電所事故による東京電力の損害賠償支援スキームは、株主や社債権者などを事実上免責する。

too big to fail

株主は別だ。
株主は、リターンを期待し、実際得てきていた。だったらリスクも負う必要がある。

株式は100%減資となり、次に貸出金や社債がき損していく順番をたどるのが、市場原理に基づいた通常の破綻処理のケースだ。

あやしい力を感じる。
私は、売り一本槍できた。1,000円も売り、500円も売りだ。東電は、今、日本の金融市場がまともにいくのか試す銘柄になっている。まともなら今の値段は高い。売りで儲かる。

2011年5月10日火曜日

仲知教会の牧者たち 感想2

仲知小学校は、この春統合され廃校となった。
この小学校は、7年に3人の校長が替わったと記される。

この小学校の校歌は、神父様の作詞。
この小学校の行事の写真には、シスターが写っている。
この小学校の全児童保護者がカトリックの信者。
この小学校は公立小学校である。
こんな所に勤めてみたいものだ。

2011年5月8日日曜日

放射線について

カトリック浦和教会にて、長崎大学医学部教授の山下俊一先生の講話を聞く。

今回の放射線による恐怖と影響の具合を教えていただいた。

仲知教会の牧者たち 感想1

下口勲師による
「仲知教会の牧者たち」
を興味深く読んだ。

日本で咲いたキリスト教、と土着。
五島はやっぱり、信仰、という点では日本の異郷だ。

Pray for Japan

日本人がんばれ とか
東北地方と一緒 とか

何だか大義を振りかざされてもどうしようもない

3月11日からずいぶんたくさんの言葉や映像が飛び交った。

これはちょっとすばらしい。
こういう道もあるのだなあ。

日本に癒しをもたらすための十字架の道行き

フランシスコ会シスターの言葉

2011年5月5日木曜日

井上ひさし 平原綾香

放射線被曝の問題を考えていて、井上ひさしの「父と暮せば」を読んでみて、この作品はすごい力を持っていると思った。
井上ひさしは天才だった。

復活祭を前に、ローマ法王が日本の子どもの質問に応えた。
「どうして悲惨なことが起きるのか。神様はどうしてこんな事をするのか。」
に対して、
「わたしもわからないんだ。」
という。

そもそも、原子力というのは、発電に向かないのかもしれない。科学的にもっともっと安全にという、何重もの囲いをしても。
ミスはきっと起きる。起きたら取り返しが付かない。

平原綾香
良い曲をたくさん歌っている。音域がせまいからか、どうもうまくきこえない。

被災地を走る

3月11日から毎日相当の時間、ニュースを見て、新聞読んで、涙ない日はないほどだ。原発の問題もあって気が休まらない。

この惨事はボランティアするでもない私が見に行っちゃ、交通の邪魔だし物見は良くない。しかし、被災地の中では道路が混雑しないところもあり、迷惑にならない場所なら見ても良いかと思った。

北関東自動車道から真岡、笠間、ブルーシートの屋根を見る。
栃木県の方がひどい。地盤か、家か。どちらのせいかは知らない。
茨城県に入ってゆったりした道路を走る。
常磐道を北上し、北茨城で降りてから国道6号線を海沿いに北へ走る。

家々の1階が洗いざらしの所もある。
港では舟が打ち上げられている。

近代美術発祥の地と言われる五浦海岸。六角堂は流されてなく、ホテルも閉鎖状態。
灯台がある。真っ白な灯台は美しい。私はどうしてか分からないけれど、古い教会と共に、灯台が好きだ。古い寺はもっと好きだ。

ちょっとしたトンネルを抜けて福島県に入ると、いわき市勿来(なこそ)。勿来はもともと関があった。そういう地形を感じる。
これほど広い海水浴場はめずらしい。あまりに美しい砂浜。
遠くに常磐共同火力勿来発電所が見える。ここは東北電力と東京電力の共同出資発電所。東京電力は、東北のここでも発電している。

原発の事故が収束し、海水中の放射性物質、放射能がどれほどに落ち着くのか分かってこないと、この夏、この海水浴場で泳ぐ人は少ないだろう。

いわき市から、磐越道で郡山に向かう。この、ちょっとした低い山々を越える曲がりくねった高速道路では、新緑がきれいだ。田村市では放射線量が小さいのに、郡山に入ると大きい。減ったとはいえ、田村市は0.5レベルで、郡山市は1.5マイクロシーベルト毎時ある。
チェルノブイリの事故でも、放射線量は、同心円状には広がらない。風に乗って物質が飛ぶし、雨が降ればそこに落ちる。
二本松、郡山、安積、と放射線量が多いのは、福島第一原発の南の「いわき」よりも、風向きのために放射性物質のチリが北西に飛んでその後南下したためだ。文科省発表のデータでも、ポイントポイントで線量が多いところがある。

2011年5月1日日曜日

エフェソ人への手紙と

エフェソ人への手紙の2章8節から10節と、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の第2楽章の始まり部分は非常に合う。

救いは自力ではなく、神のたまものであること。
行いに基づくものではないこと。
私たちは神の作品であること。

マーラーのアダージェットもそうなんだが、オーケストラでありながら、一つの楽器の柔らかで穏やかな、静かなゆっくりとした単調なりズムからの始まりというのは本当に心安らぐ。