2009年1月12日月曜日

肝心なところがわからない

 カトリックの信仰を恵まれた人達の回想、修道者になった人達の思いを読んでみると、結局肝心なところが書いてない。書けないのだろう。召命としかいいようがない。
「どうしても修道者になりたいと思った。」「修道者の生活に憧れた。」などと表している。
女子パウロ会のサイトに「どうしてシスターに」というコーナーがある。同じだ。
その、思った、憧れたのはなぜか、その肝心なところが書いていない。神の恵みなのだろう。

神父様が2008年の11月頃、ミサの説教でおっしゃっていた。
「あなたが私を選んだのではない。私があなたを選んだ。」
ヨハネ 15-16

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