2010年1月27日水曜日

修証義

通夜があった。曹洞宗。ご住職は、お経の前にかなり長い時間をかけて、戒名の意味と、これから唱えるお経「修証義」の第一章の説明をされた。キリスト教の洗礼や、人の死についてもふれられた。立派な宗教家だと思った。

ご住職は、「しゅしょうぎ」と言っているようだった。私は、「しゅうしょうぎ」と読んできたので、家に帰って調べたら、確かに しゅしょうぎ。

修証義は、道元禅師の「正法眼蔵」を明治になって口語にした、素晴らしいお経。
第四章は特に美しい。
第四章第五節「愛語廻天の力あり」が有名だ。

第六節
 利行というは貴賎の衆生に於きて利益の善巧を廻らすなり、窮亀を見病雀を見しとき、彼が報謝を求めず、唯単えに利行に催おさるるなり、愚人謂わくは利侘を先とせば自らが利省かれぬべしと、爾には非ざるなり、利行は一法なり、普く自侘を利するなり。

「唯単えに利行に催おさるるなり」が好きだ。催されたということ。ただ無心に相手の為によかれとおもう心にひかされること。
修証義は、正法眼蔵を口語訳したもの。正法眼蔵を見ると、
「愛語といふは、衆生をみるにまづ慈愛の心をおこし、・・・。愛語は愛心よりおこる。」
とある。最初に心があって、その後に言葉がある。

新約聖書第一コリント12の31も、「愛」という言葉をつかって同じことを言っているのではないか。

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