2007年12月23日日曜日

かなりや

カナリヤを書いた頃、かなりやをつくった頃、唄を忘れた金糸雀を書いたこと

いずれの題名かわからないが、そんな題の文章があって、それを探していろいろな図書館をまわった30年前が懐かしいし、いとおしく思う。
今日、ふと思いだしてネットで調べたが、その題名のものは出てきてくれない。しかし、出展は別だが、私が覚えている情景は見つかった。彼、西條の話だろう。

「それは自分が13・4歳のころ、基督降誕祭(クリスマス)の夜には、いつも人に伴(つ)れて行って貰うことになっていた、九段上にたしか番町教会というキリスト教会があった。その教会の室内の光景であった。 その祭日の夜には、堂内の電燈がのこらず華やかにともるのであった。そうして祭壇の傍に立ったクリスマス・ツリーの枝かげに吊るした、金や、銀や、赤や、青や、さまざな飾星ときらびやかに反映するのがつねであった。ところが妙なことにその中でただ一つ、天井の1ばんてっぺんの窪処(くぼみ)にある電燈のみが点(つ)いていなかった。
 少年の私にはいかにもその珠だけが、楽しげなみんなの中で独り継児あつかいされているような・・・また多くの禽(とり)が賑やかに歌い交している間に、自分だけがふと歌うべき唄を忘れた小鳥を見るような淋しい気持ちがしたのであった。『唄を忘れた金甎雀(かなりや)』、・・・ふと、そんな感じが、そのころかなり小鳥好きであった少年の自分の胸に湧いた・・・」「・・・その間に折々ぼくの胸を鋭くつく疑問は、この「歌を忘れたかなりや」が、ほんとうの唄を想い出してうたう機会を持たずに、途中で死んでしまったらどうなるかということだった。心の中でこの「歌を忘れたかなりや」を、激しく叱責する声があり、また反対に、もうすこし待ってやって、この哀れな鳥を、適所に置けば、すなわち、象牙の船に銀の櫂、月夜の海に浮かべれば忘れた歌を想い出すこともあるだろうと、やさしく慰撫する声もあった。ぼくはこの自伝的感慨を裏に、そして、動物愛護の精神を表に、2重張りにしてこの童謡を詩作した。」

 教会の電灯が一つ消えているところから、唄を忘れたカナリヤを連想するとは何と繊細なのだろうと、当時も今も思う。私はこの話が大好きなのだ。
 ところが、今日は驚くべき発見をしてしまった。してしまったのだ。子どものことや、他の作詞や、季節のこと、時代背景が、かなりウソらしい。
この話が、実は眉唾ものであると言う。ネットは便利だが、何とも寂しい。ま、私にとっては、この話が創作であっても、この歌の美しさは変わらない。

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