2009年4月25日土曜日

足尾

 日本各地に戦没者の慰霊碑がある。日清戦争、日露戦争ころは人数も少なかったから村の英霊として至る所に立っている。先の第2次世界大戦では数が多いから、まとめて立っているところもあるが、英霊とするには反対も多かったのか、それまでの戦争よりは慰霊碑は目立たない気がする。山間の村や神社なんかを歩いていて、こういう碑を見つけ立ち止まる。碑の裏を見て、いつ誰が立てたのか、村長がいくら出したのかなど。背景に人やその思いを感じるから好きなんだろう。

 中国人殉難烈士慰霊塔というのが栃木県日光市(旧足尾町)にある。

 この町では、第2次世界大戦で400余名が死んだ。足尾は今は過疎地だが、かつては栃木県第二の人口だった。足尾銅山のためだ。400名のうち、驚くべきことは、中国人、朝鮮人が多いことだ。畑仕事中に日本軍に強制連行され、銅山で働かされた戦争が終わるまでの1年半の間に109名がなくなった。連行総数257名の実に42%。多くは栄養失調であった。
 家畜だってこんなに高い割合では死なない。
 「中国人殉難烈士慰霊塔」なんか建立されたって、この人たちは帰ってこない。

 こういう話は、世界中にあって、資本主義経済とか、軍部独裁とか何か理由はわからないが、政治・政策が間違っているだけではないと思う。人間がもっている、何かとても怖いものの一面が表れるのだろうか。私もその一人だ。
 日本人もシベリアに連れて行かれてかなり亡くなった。第2次大戦後シベリア連行の死者6万人とも、100万人とも言われてよく分からない。満州・樺太・千島には273万人の日本人がいて、このうち約107万人が終戦後シベリアやソ連各地に送られ強制労働させられた。少なくとも37万人はそこで死んでいるという学者もあるようだ。

金のためには、人は本当にむごいことをするものだと、思う。

 今はいい世の中か、日本かというとそうではない。外国人研修生のうち、昨年の死者は最多の33人であったとう。その前年は21人だった。健康管理がひどいのだろう。企業経営者の友人が言っていた。
「彼等はすごいよ、ちょっとくらいじゃ医者にもかからないし、仕事を休まないから。」
 こういう姿勢では、日本の未来はない。奴隷の犠牲によって成り立っていた「ローマの平和」がそうだったように。

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