2011年1月29日土曜日

修道者の独身について1

私が修道者を尊敬する大きな一つの理由は、修道者が独身であることにある。
禁欲という意味での独身である。
キリストが、人々のために独身であったように。
司祭もそのキリストの道を歩むものとして、独身でありたい。

カトリックは、ペテロがはじめのローマ法王である。ペテロには妻子があったようだ。
ルカ18章、ペテロ「わたしたちは自分のものを捨ててあなたに従って参りました」
イエスは言われた。「はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てたものはだれでも、この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける」
パウロも妻帯者だろうし。過去はどうあれ、叙階の条件として禁欲しなければならないというわけだ。

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