2007年12月8日土曜日

修証義第四章

修証義は、第四章にしてその崇高な理念を高らかに歌い上げる感がある。

有名なのは、愛語廻天の力ありの第五章だが、私はその後の第六章が素晴らしいと思う。

第五節 愛語には廻天の力あり
 愛語というは、衆生を見るに、先ず慈愛の心を発(オコ)し、顧愛の言語を施すなり、慈念衆生(ジネンシュジョウ)猶如(ユウニョ)赤子(シャクシ)の懐(オモ)いを貯えて言語するは愛語なり、徳あるは讃むべし、徳なきは憐れむべし、怨敵を降伏(ゴウフク)し、君子を和睦ならしむること愛語を根本とするなり、面(ムカ)いて愛語を聞くは面を喜ばしめ、心を楽しくす、面(ムカ)わずして愛語を聞くは肝に銘じ魂に銘ず、愛語能く廻天の力あることを学すべきなり。

第六節 人のよろこびは我がよろこび
 利行というは貴賎の衆生に於きて利益の善巧(ゼンギョウ)を廻らすなり、窮亀(キュウキ)を見病雀(ビョウジャク)を見しとき、彼が報謝を求めず、唯単(ヒト)えに利行に催おさるるなり、愚人(グニン)謂(オモ)わくは利侘を先とせば自らが利省かれぬべしと、爾(シカ)には非(アラ)ざるなり、利行は一法なり、普(アマネ)く自侘を利するなり。

第五節の「愛語能く廻天の力あることを学すべきなり。」はなかなか歯切れの良い、素晴らしい言葉であるが、技術の域を出ないようにも感じられる。
第六節の中の「唯単えに利行に催おさるるなり」の部分は、私の中で、キリストの十字架の道行きのヴェロニカの思いと行いに結ばれる。
 かたや亀、雀、かたやイエス様であるから、比較もどうかとも思うが、共通しているのは、催されたということだ。慈愛の心、利他救済。窮亀、病雀を救った利行の心。ただ無心に相手の為によかれとおもう心にひかされて助けたのだ。そこがとても好きな言葉。

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