2011年5月8日日曜日

仲知教会の牧者たち 感想1

下口勲師による
「仲知教会の牧者たち」
を興味深く読んだ。

日本で咲いたキリスト教、と土着。
五島はやっぱり、信仰、という点では日本の異郷だ。

Pray for Japan

日本人がんばれ とか
東北地方と一緒 とか

何だか大義を振りかざされてもどうしようもない

3月11日からずいぶんたくさんの言葉や映像が飛び交った。

これはちょっとすばらしい。
こういう道もあるのだなあ。

日本に癒しをもたらすための十字架の道行き

フランシスコ会シスターの言葉

2011年5月5日木曜日

井上ひさし 平原綾香

放射線被曝の問題を考えていて、井上ひさしの「父と暮せば」を読んでみて、この作品はすごい力を持っていると思った。
井上ひさしは天才だった。

復活祭を前に、ローマ法王が日本の子どもの質問に応えた。
「どうして悲惨なことが起きるのか。神様はどうしてこんな事をするのか。」
に対して、
「わたしもわからないんだ。」
という。

そもそも、原子力というのは、発電に向かないのかもしれない。科学的にもっともっと安全にという、何重もの囲いをしても。
ミスはきっと起きる。起きたら取り返しが付かない。

平原綾香
良い曲をたくさん歌っている。音域がせまいからか、どうもうまくきこえない。

被災地を走る

3月11日から毎日相当の時間、ニュースを見て、新聞読んで、涙ない日はないほどだ。原発の問題もあって気が休まらない。

この惨事はボランティアするでもない私が見に行っちゃ、交通の邪魔だし物見は良くない。しかし、被災地の中では道路が混雑しないところもあり、迷惑にならない場所なら見ても良いかと思った。

北関東自動車道から真岡、笠間、ブルーシートの屋根を見る。
栃木県の方がひどい。地盤か、家か。どちらのせいかは知らない。
茨城県に入ってゆったりした道路を走る。
常磐道を北上し、北茨城で降りてから国道6号線を海沿いに北へ走る。

家々の1階が洗いざらしの所もある。
港では舟が打ち上げられている。

近代美術発祥の地と言われる五浦海岸。六角堂は流されてなく、ホテルも閉鎖状態。
灯台がある。真っ白な灯台は美しい。私はどうしてか分からないけれど、古い教会と共に、灯台が好きだ。古い寺はもっと好きだ。

ちょっとしたトンネルを抜けて福島県に入ると、いわき市勿来(なこそ)。勿来はもともと関があった。そういう地形を感じる。
これほど広い海水浴場はめずらしい。あまりに美しい砂浜。
遠くに常磐共同火力勿来発電所が見える。ここは東北電力と東京電力の共同出資発電所。東京電力は、東北のここでも発電している。

原発の事故が収束し、海水中の放射性物質、放射能がどれほどに落ち着くのか分かってこないと、この夏、この海水浴場で泳ぐ人は少ないだろう。

いわき市から、磐越道で郡山に向かう。この、ちょっとした低い山々を越える曲がりくねった高速道路では、新緑がきれいだ。田村市では放射線量が小さいのに、郡山に入ると大きい。減ったとはいえ、田村市は0.5レベルで、郡山市は1.5マイクロシーベルト毎時ある。
チェルノブイリの事故でも、放射線量は、同心円状には広がらない。風に乗って物質が飛ぶし、雨が降ればそこに落ちる。
二本松、郡山、安積、と放射線量が多いのは、福島第一原発の南の「いわき」よりも、風向きのために放射性物質のチリが北西に飛んでその後南下したためだ。文科省発表のデータでも、ポイントポイントで線量が多いところがある。

2011年5月1日日曜日

エフェソ人への手紙と

エフェソ人への手紙の2章8節から10節と、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の第2楽章の始まり部分は非常に合う。

救いは自力ではなく、神のたまものであること。
行いに基づくものではないこと。
私たちは神の作品であること。

マーラーのアダージェットもそうなんだが、オーケストラでありながら、一つの楽器の柔らかで穏やかな、静かなゆっくりとした単調なりズムからの始まりというのは本当に心安らぐ。

2011年4月30日土曜日

子どもたちの被曝

 細野首相補佐官は昨夜、辞任表明した小佐古敏荘内閣官房参与が甘すぎると批判した学校の校庭利用制限に関する放射線量の基準について「われわれが最もアドバイスを聞かなければならない原子力安全委員会は年間20msvが適切と判断している。政府の最終判断だ」と述べ、変更しない方針を示した。

 東電ばかりが謝っているが、原子力安全委員会・原子力保安院の政府関係者は謝らない。責任は半分ある。その原子力安全委員会のいう話を聞くべきだというのは間違っている。20msvでは、子どもは危ない。

 被曝線量はできるだけ下げなくてはならない。郡山市が行った学校の庭の土の除去は,功を奏した。放射線量が1/3以下になった。やらなければ、半減期が30年なのであるから今後ずっとサラされる。

 「3msvで安全なのだから、余計なことをするな」
と大臣が言ったという。とんでもないことだ。

 国が、委員会の言うとおり、「安全だ」としたのだから、やらなくてもいい、ということだろう。しかし、国や委員会の基準通りにやってきたら、今回の放射線もれを起こした。あんな低い位置に発電機を置いて津波をかぶって使えなくなり、それを許可してきたのは国だ。

 国は、これまで守ってきた基準を次々と甘くしている。超法規的措置を繰り返して間違いの上塗りをしている。一般人の被曝線量の限度は1msv/y(年)。

 次に、給食の話

 一般人が、福島のため、茨城のために多少の汚染された可能性のある野菜をたくさん食すのはかってだ。あまりにも悲しいというか無知というか、悲惨なことだが、仕方ない。
 しかし、給食に汚染された材料を使うことはいけない。
「基準値以下なら良い」
というのは間違っている。汚染された野菜なのだから、基準以下でも地産地消は間違い。
 食品による被曝と、外からの被曝を合算すべき。被曝を合わせて計算していない。それぞれを分けて
「20mcv以下だから大丈夫だ」
という。ある論調は、
「子どもたちは1/2、1/3の線量で大人と同じだ」
という。だったら、1mcvをがっちり守らねばならないのに、福島県の乳児、幼児、小学生、中学生が大量被曝している。可哀想だ。0.5%程度のガンの発症はかまわないというのが政府の本音なのだろう。原発関係、近所の住人がパニックを起こして国家的惨事になるよりも。
 沖縄を犠牲にして本土を守った先の大戦と同じだ。福島を犠牲にして全国を守る。もし、線量が高い福島市、郡山市、白河市まで避難させたら、国がもたない。
 むごいことだとおもわれる。

つかえる

キャサリンさんは
宣誓の中で「夫に仕える」部分を省いた。
それは聖書の誤解から来ていると思う。

夫婦とは共に神に仕えるパートナー

パウロでさえ男尊女卑的な面は否定できないところだし(コリント1)、一概に男女対等な聖書観を語れない。
しかし、つかえる、という意味はヘルプではなく、パートナーなのであって「互いに」なのである。だから、あえてキャサリンさんは「夫に仕える」部分を省かなくても良かった。むしろ、教会でやっている以上、神に仕える、それを共にする、という意味から仕える、は言ったほうが良かった。