1844年パリ外国宣教会は日本宣教を計画していた。1858年修好通商条約を締結し、外国人居留地内に限って教会建設を認めた。パリ外国宣教会は1859年ジラール神父を来日させた。1864年大浦天主堂完成。1865年隠れキリシタンの存在が明らかになった。250年間ぶりの布教となった。
シルバン・ブスケは1901年に叙階してから、大阪に着任することになり、リジュ―のカルメル会修道院に祈りを願っていた。すでに亡くなっていたテレーズの姉アニェスからの返事は、
「妹はあなたといっしょに宣教地へ赴き、そこでの宣教を助けるでしょう」
着任するとすぐ、ブスケ師はテレーズの伝記『ある霊魂の物語』を訳し出版した。マルモニエ師もまた1898年に出版された
『ある霊魂の物語』
に心うたれていた。彼は『ある霊魂の物語』日本語訳を1,500刷り1911年カルメル会修道院に書き送った。
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