2013年12月22日日曜日

良寛、リジューの聖テレーズ、パリ外国宣教会①

 良寛の住んでいた地方に大地震があった。良寛の手紙。
「地震は信に大変に候。野僧草庵は何事なく、親類中、死人もなく、めでたく存じ候。
うちつけにしなばしなずてながらえて かかるうきめを見るがわびしさ
しかし災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候。かしこ」

 フランスのリジューの聖テレーズ(列聖1925年)には、マリー院長からパリ外国宣教会ルーラン神学生を霊的兄弟として与えられた。テレーズのルーラン神学生(神父)への手紙。
「完全な愛に至るのは易しく思われます。自分が無にすぎないことを認めて幼子のように神様のみ腕に自分をゆだねさえすればよいのです。」
「あなたとごいっしょに、人々の救いのために働けるのは、本当にうれしいことです。私がカルメル会修道女となったのも、このためでした。活動の宣教者となることはできませんので、私も、私たちの母聖テレサのように、愛と苦行とによって、宣教者になりたいと思いました。」

ルーラン師はテレーズに祈りを願っていたようだ。テレーズはカルメル会の修道院で、24歳の生涯を閉じた。幼子の道、神様への信頼は良寛の重なる。自分の無力さを認め、神様のあわれみに信頼をおいて自分をゆだねること。

「子どもたちを私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」(マルコ10・14)

テレーズはマリア様に頼ったのですが、聖母は思いがけない出来事あうと、「なぜ」と神様に問うことなく、わからないままにみ旨を受け入れ、己を委ねて生きました。

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