車を司祭が買った。当時は、車は診療所と司祭館にしかなかった。
テレビがある家はなかった。司祭館にはあった。
鯛ノ浦の伝道学校では白米が食べられた。家庭では麦ご飯が中心だった。
神父様は釣り船を持っていた。趣味のために。
仲知教会の司祭館は、30年前に、2,000万円以上の建築費をかけた鉄筋コンクリートの建物である。すべて信者が負担した。
信者からの貢ぎ物で、大量の高級魚があった。
こうしたことを読むと、いかに神父が物質的にも恵まれていたか分かる。
今の私たちの教会はどうか。
神父様は私たちの生活水準さえままならない。
せめて衣食住を満足させたい。
食事を作って差し上げたい。
トラピスト修道院に泊まるとき、ある司祭は肉を焼くブラザーを連れてきていたと、昔聞いた。
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