2009年7月3日金曜日

聖トマ使徒

 7月3日、自分の霊名聖トマ使徒の祝日。さわやかな朝。
カトリックは、洗礼名の聖人の祝日を祝う。プロテスタント教会(聖公会以外)は洗礼名を付けない。(プロテスタンティズムはそもそも神と人との直接の関係。万人司祭主義・聖書主義(ルター)。カトリックの聖人やマリア様を通して神に取次を願う発想はない。)

「トマス」は、聖トマ使徒と同一。古くからの信者や古い書物では、「聖トマ使徒」や「トマ」と言う。私も「トマス」よりも「聖トマ使徒」が気に入っている。選んでくださったSr.Tに感謝。

復活のイエスの傷跡に指を入れなければ信じないと言い張り、疑い深いとしてあまり人気のないトマ。聖書であまり登場しない。キリストの傷に指を入れたとも入れなかったとも書いていない(ヨハネ20章)。復活のイエスが弟子たちに現れたとき、トマだけそこにいなかった。イエスが現れるまでの8日間、トマは本当に辛かっただろう。
トマにとっての問題は、イエスの傷跡に指を入れて確かめることだった。しかし、復活のイエスと「出会い」、傷跡に指を入れるかどうかは問題ではなくなった。

「目に見えなくてもある」ということ?

「出会う」ということは視覚的に会ったのではない。信仰の次元に入ったということ?
パウロの回心の場面も同じだろうか。

「見ないで信じる者たちは幸いである」とイエスはトマに諭す。
「出会った」あとの、トマによる言葉「わたしの主、わたしの神」は、まことに美しい信仰宣言だと思う。

0 件のコメント: