2011年2月27日日曜日

大衆迎合政治

国や地方が、今までの社会的サービスを維持するなら、ますます増加する歳出をカバーする税収が必要だ。
ところが、政治家は黙っている。分かっているが言ったら選挙で負ける。
報道では、14府県知事が消費税率アップを自らの選挙で訴えるという。
立派なことだ。栃木、埼玉、山梨、岐阜、静岡、大阪、兵庫、鳥取、広島、山口、福岡、佐賀、熊本、大分の14府県が税率アップ主張。
青森、愛知、滋賀、和歌山、島根の5県が「ない」とした。
ひどいのは、態度を明らかにしなかった他の県だ。

河村氏はポピュリスト。選挙は、大衆迎合スローガンを掲げて勝つ。大衆運動の形で、マスコミを利用したキャンペーンを行う。単純な言葉を繰り返して、大衆を巻き込む。ファシズムと似た作戦を行う。
河村は名古屋市議会に提出した。
1 市民税の恒久的な10%減税
2 ボランティアの市民が市予算の使い道の一部を決める「地域委員会」の創設
3 議員報酬の半減

このうち、1はもってのほかで、2は未熟。3だけが賛成だ。そもそも政治は井戸塀政治家こそが行うべきだ。政治は、名誉だけで、金を求めない、ボランティアだ。

マタイ6:24

教会では急に朗読を指名されるからめまいがしそうな今朝などは困る。

神父様のマタイ6:24-説教では、衣服よりも、食べ物よりも現代の悩みはつきない、健康、家庭、家族、仕事、将来。
我々は、もともとすべてを自分の力で行うことができるような夢の中で生きている。
成功は自分の努力のため、失敗は自分の怠惰のため、と考えてしまう。
神が与えて神が養ってくださっていることを。
私たちを自分の思い悩みから解放するのは、神様。今日を生かされた者として、精一杯生きることができたら素晴らしい。神の摂理、神のはからいがある。
頭ではなく、心で、神は導いてくださるとしっかり入っていれば、大きな心配はなくなる。神への信頼をもって。

揺れの中で、前をゆく一生を捧げる、修道者。そう思った。

2011年2月26日土曜日

わずかでいい

わずかでいいから有料化

救急車

年々増加している。有料化賛成。タクシーじゃない。悪質化しているから仕方ない。
安ければいいのだ。
生死に関わるから、高いのでやめたというのは良くない。
不要な出動を減らすことが目的だ。経費をまかなう訳じゃない。
消防庁のようにこんなのアンケートとって、有料化に賛成ですかとやれば、反対が多くなる。なぜなら、大局的な見方ができないで自分の目先の利益しか考えない人が過半数だからだ。

生活保護者の医療費

無料は良くない。わずかでいいから取るべきだ。1割でも、0.1割でもいいから負担させるべきだ。
携帯電話に1万円使い、タバコ吸って、晩酌している生活保護受給者が、医療費の200円を払えないはずはない。100円でも払うとなれば、診療が減るだろう。
不要な受診を減らすことがねらいだ。

売り銘柄

サークルkサンクス
コジマ

いまはうりどき

原油は90ドル。上げ基調だが、もっと上がるだろう。
円はきっと安くなる。そしたら国内の油は相当高くなるだろう。

前橋教会 カトリック

過日カトリック前橋教会に行ってきた。
(はじめて教皇大使を拝見した。外交官用ナンバーの車でいらした。)
ゴチックの石の風合いの外観はカトリック松が峰教会に負けるが、ステンドグラスや天上やライトはすばらしい。
国・登録有形文化財(2001.11.20)

「神を畏れることは知恵の始まり」と柱に掲示。





箴言9・10
主を畏れることは知恵の初め
聖なる方を知ることは分別の初め。

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/1・2・1
人は生まれつき、知りたいと望む。けれども多く知ったところで、神を畏れる心がなければ、なんの役に立とう。

2011年2月23日水曜日

ミッション3

仏教徒が海外布教団を結成し、大金と多数の僧侶を組織して、キリスト教国やイスラム国に命をかけて布教するなんて話は聞いたこともない。仏教徒が自分の属する寺や、宗派に寄進するのは良くあるが、海外の仏教徒や僧侶育成に寄付するというのも聞いたことがない。

それをいまだにやっているのが、新旧両キリスト教なのである。

ミッション2

浅い知識だが、ニュージーランドは、アングリカンが多いだろう。
クライストチャーチの地震のニュースで大聖堂の尖塔の崩壊を見て、果たしてこの国はカトリックなのか、アングリカンなのか、長老派なのかなどと思っていた。

あの聖堂の写真では、どうもプロテスタント圏ではないように見えた。するとカトリックか、聖公会だ。日本の教会で感じるのは、聖公会はどうも石が似合う。石造りが多いように思う。ヨーロッパからの方角から、正教ということも無かろうと考えていた。
たぶん、イギリス支配だったんじゃないかな。すると、やっぱりアングリカンチャーチなんだろう。

キリスト教のミッションは、その国の土着の人たちの宗教も変えてしまう。
南米がその例だ。あの人たちは、実に熱心なカトリックであることが多い。
フィリピンもそうだ。
南米では、ペルーなどのスペイン語圏ほうが、ポルトガル圏のブラジルよりもカトリックには熱心な気がする。
それにしても、あの明るさは学ぶべきものがある。

ミッション1

カトリックの外国宣教会は、主たる宗教がカトリックではないところに集中する。
例えば、パリ外国宣教会は、400年の歴史をもち、アジア宣教をする。日本にとって、どれほどの人的物的支援がされたかを思うと感謝に堪えない。特に、明治の長崎、横浜においては、250年にわたるかくれ切支丹の発見だけではなく、かなりの支援がされた。現在もかなりの数の司祭が日本にいる。

ミラノ外国宣教会もアジアへの宣教をしている。人口の0.4%のカトリック教徒のために今もかなりの数の司祭が日本にいる。

このおせっかいのような宣教をどう思うか。
キリスト教が仏教よりもすばらしいのか。
絶対的に優位なのか。
真実なのか。
 
でも、一人一人の神父様を見たら、また、彼らが行ってきた仕事を見たら、やはり感謝しかない。

2011年2月20日日曜日

今日のミサ

神父様の異動が決まり、何だかショック。
神父様はどのような気持ちなのだろうか。
最近は、人としての神父様を思う。
神父様も人なんだ、人としての弱さ、なかしさ、辛さを感じるはずだと。

今日のミサは、アガペーの愛について。
イエス様のおっしゃった最大の所だと思う。
旧約の言う隣人愛から、すべての人への愛。

マタイ5・17-

2月13日の主日のミサはマタイ5
律法について説教があった。

律法は613あるが、守っているだけではいけない。
最大の律法は「殺すな」だが、
「殺さなければ良い」のではない。
決まったことを守るだけではなく、神の御旨を守る、神が望まれるような人間の生き方を愛という一点に集中し、神への信頼のうちに生きる。
命を大切にする、愛というもの。この核心が無くては、律法を守っていても空しい。
罪と死から解放された者としてどう生きるのか、小さな事でも愛の心をもって生きることが意味がある。

ためになる良い説教だった。

2011年2月6日日曜日

主を畏るるは学問のはじめ

シラ1:14

主を畏れることは、知恵の初めである。知恵は、主を信じる人たちに母の胎内にいるときから与えられている。

シラ書は、主を畏れよと何度も言う。
1の14はシラ書の中で好きな言葉。

ミサの典礼では、詩編がよく使われるが、このシラ書も良く出てくる。
神への畏敬は、学問をはじめるノ最も基本的なことがらである。