フランシスコの家 跡地
どう見てもここらしい。写真左側。建て替えるのかな。
四条通と堀川通の交差点を西に行き、1本目の南北の岩上通を南に入る。100mも行かないで右側。写真は通り過ぎて振り返った。左側の空き地をここじゃないかと思って撮った写真。
庭や、文献を見たかったが。
妙満寺あと
フランシスコの家を南に下り、最初の交差点の左。北西の角にある二十六聖人の碑。
なかなか見つからない。この前に立っていてわからなかったくらい。
堀川通の東側には、四条病院がある。こっちを先に見ても同じだ。大通りを渡るには、四条通と堀川通の交差点を渡る。四条病院には二十六聖人発祥の地のプレートがある。
このあたりは当時はたくさんのキリシタンが住んでいて、多くの棄教者、殉教者を出した地であることを思うと、歩きながらの感慨もひとしおでした。ロザリオ一連祈りました。
それにしても、殉教できなかった、棄教した人への哀れみというのか、その人たちの生き様を思いました。どんな生き方をしたのだろうか。
病院内の説明1
病院一階に入って右側に殉教の様子が説明されています。
病院内の説明2
病院内の説明3
妙満寺付近のキリシタンがとらえられた様子について
堀川通りを北に行けば、二条城。1603年築城だから、こちらの妙満寺跡の広大な病院やカトリック施設の方が古い。
堀川通りを北に行けば、二条城。1603年築城だから、こちらの妙満寺跡の広大な病院やカトリック施設の方が古い。
天主堂跡
二十六聖人て、フランシスコ会関係が多いように思うがどうなんだか。
イエズス会士もいるようだが。
ここにはイエズス会の教会堂があったが、閉鎖されて1604年には再興されたようです。
堀川通りを北に。四条通から歩いては遠いので、バスかタクシー。元請願寺通油小路の南西。同志社大学と御所の間の通り今出川通と堀川通の交差点の1本南。ここがその場所。
堀川通りを北に。四条通から歩いては遠いので、バスかタクシー。元請願寺通油小路の南西。同志社大学と御所の間の通り今出川通と堀川通の交差点の1本南。ここがその場所。
徳川幕府ははじめ認めて、教会堂も再開されて、また焼き討ちになったという。10年も満たない教会天主堂の存続でした。1619年には京都の大殉教52人が亡くなったのですから、禁止されたり認められたり政治に翻弄されました。
言論の自由、信仰の自由は本当に大切ですね。
古い伝説の戻り橋
堀川通と一条通交差には、一条戻り橋があります。堀川通の東側です。同志社大学と御所の間の通りである今出川通と堀川通の交差点の2本南。伝説がある戻り橋ですが、カトリックにしてみれば、ここは秀吉の命令で24人が片耳を落とされた場所です。
ここから遠く長崎の刑場まで行ったのですね。二十六聖人殉教は1597年のことでした。
カトリック西陣教会の庭
カトリック西陣教会
一条戻り橋から一条通を東へ5分くらい歩いて左折。もう少し東はもう烏丸通。御所です。
1907年の創立ですが、1600年前後の京都の大殉教を思えば脈々と信者がいたのではないかとも思ってしまいます。系譜はつながっていない人が多いでしょうが、祈りはつながっているから、殉教者や多くの信者の祈りは、この教会の雰囲気を醸し出す一つの要因でしょうか。
結構な時間たたずみました。マリア様の祈りを少し。
この教会堂の思い出は、言葉にはできません。なぜなら匂いだからです。古い材木のせいか、何だかわかりませんが、懐かしいカトリック教会の匂いがしました。
カトリック教会は、だいたいどこでも開いていて、勝手に入って聖体訪問できます。
ここは鍵がかかっており、珍しいなと思っていましたら、張り紙があって香部屋の横から入れました。部外者が入ってもいいけれど、ただの観光の方を閉め出すには良い方法。祈りの場としてわかって下さる観光者はいいのですが。信者は聖体訪問ですから。
長崎の五島に行ったときも思いました。大曽教会というそれは美しい聖堂で、一人で静けさの中に祈っていると、車のブーという音、続いてバタンとドアの音がして、直後一人の女性がカメラを抱えて入ってきました。ばたばた歩き回って写真を撮っていました。シャッター音もうるさいくらい静寂な中、祭壇あたりもうろうろされて、座ることもなくさっさと出て行かれました。
拝観料を取るべきだと思いましたね。さい銭箱の大きいのを入り口に置くといいなとも。
聖アグネス教会
京都御所の西を歩いていて、ずいぶん暑い中もうだめだからホテルで昼食をとり1時間も涼んで歩き出すと、突然出くわしました。
見るからに聖公会!!
カトリック教会のとんがった双塔の屋根もいいけれど、聖公会の四角い塔も好きです。煉瓦が似合います。教会建築は詳しく知らないけれど、いくつかの教会を見てきてそんな違いを感じます。
内部はだいたい重厚な木の説教台、それが聖公会では多いような。
聖堂には入れませんでした。入り口のすりガラスの脇からのぞくと、ステンドグラスが美しそうだった。日曜なら見学できそうですね。ミサ(礼拝というのかな?)の邪魔をしないようにしていれば。
聖アグネス教会は、日本聖公会京都教区に所属する教会で、1923(大正12)年10 月、平安女学院(St.Agnes’School)の生徒・教職員による教会として認可されました。第二次大戦中は、軍需資材置場に充てられたり、戦後は占領軍将兵の礼拝に用いられるなどの出来事がありましたが、礼拝は絶えることなく続けられました。現在は、京都教区の中心となる主教座聖堂(Cathedral)、聖アグネス教会という地域にある一つの教会(Parish Church)、そして平安女学院の礼拝堂(Chapel)としての3つの役割があります。(website から)
小川牢屋敷跡
この右側の工事中のあたり。
26聖人のうち24人はここに入れられました。小川通から御池通を南に見ています。
ロザリオ一連お祈りしました。
ロザリオ一連お祈りしました。